「政府が変わっても、ここは変わらないねぇ」。“おばあ”はもうすぐ90歳になろうとする。沖縄戦、米軍占領下の沖縄、本土復帰後の「基地の島」沖縄に住んできた人々の言葉は重い。たくさんの想いと悲しみが込められた言葉である。どっしりとした体に、かわいい笑顔。温かさと侘しさを映し出す目を辺野古の海に向けて、そう述べた。
コバルト色を放つ海。白い砂浜。ジュゴンの生息地として有名な辺野古の海は、海草も豊富だ。きれいに透き通った海の底を見るとサンゴが波と一緒に踊っている様に見える。ゆったりとした自然のリズムは人間に心地よく、人間も自然の一部なのだと実感できる。海草はもちろん人間も食べることもできる。若者が海草を取りに行き、老人が陸で野菜を育てる。若者と老人の間で海草と野菜を物物交換することもあるという。自然と人間が共に生き、ファストフードではなく、自然が育ててくれたスローフードを嗜む。これが辺野古に住む人々の生活だ。砂浜を歩けば流れ着いた流木が歴史を語り、サンゴの死骸が砂浜にキレイな模様を描き、ヤドカリはてくてく歩く。無限に広がる博物館。「一つが見えてくると、全体が見えてくるんだよ」。いつも笑顔のまんちゃんは大きな地球の真理を教えてくれた。
「2343」。2010年9月17日までに辺野古の市民が座り込みを続けてきた日数である。普天間基地の移設先として、辺野古の海は埋め立てられようとしている。雨の日も、風の日も、嵐の日も、灼熱の日も市民が座り込みを続ける辺野古を1年ぶりに訪れた。辺野古の市民は現状を変えるために、一人ひとりが行動を起こし、闘っている。争うためではなく、守るために。
数年前に辺野古の海に基地建設の環境アセスメントを実行するためにやぐらが建てられた。住民はカヌーに乗り、海上で闘った。なかにはお年寄りもいたという。やぐらが建てられると、住民はこれ以上工事を進行させないために、やぐらに登り、闘う。鉄骨でできたやぐらに住民はしがみついた。政府から派遣された環境アセスをする職員は、しがみつく住民の手を無理矢理はぎ取り、ある住民は船の上に、頭から真っ逆さまに落ちたという。「打ち所が悪かったら、間違いなく死んでいた」。座り込みをする“おばあ”はそう当時を語ってくれた。
どこのメディアがこの事実を報道しただろうか。
政府が非暴力の市民を殺そうとしたのである。
海中で闘う市民もいる。彼らは職員に酸素ボンベのノズルを閉められ、息ができなかった。殺そうとしたのである。
この海を守るために、住民は死ぬ気で闘う。
権力と闘うこと。
言葉では簡単ではあるが、事実は想像を絶する。
権力とは概念ではあり、決して目に見えない。
彼らはそれと闘っているのである。
この時期に闘っていた住民の多くは権力との闘いあと、体を崩したという。
権力と闘うということを体で感じ、
いかに巨大で、いかに暴力的で、無慈悲か。
すべての想像を越える権力。
その権力と自分たち自身が闘っているという事実を認識したとき、人々の精神は崩壊する。
その事例を、座り込みをしている人々が体現していた。
決してこの苦しみは誰にも分からない。体験した人々でないと分からない。
私にも分からない。いかに恐ろしいもので、人間を蝕むのか。
今日、2010年11月28日日曜日は沖縄知事選だ。勝負の日である。
基地はいらない。今まで生きてきた私の人生のなかでの結論である。
基地はいらない。基地はいらないのである。
沖縄で少女が米軍にレイプされるのも、沖縄から派遣された米軍がイラクやアフガニスタンで子供や女性を殺すのも、爆音で夜が眠れないのも、基地によって仲の良かった地域が分断されるのも、沖縄の人々が悲しい顔をするのも、
もう、たくさんだ。
沖縄は観光の島ではない。
基地の島である。
みんな知らない。自分が観光だけ楽しめば良いと思っている。そんなんじゃない。
観光を楽しむのもすごい大切だけど、
それを支えている人々の、過去の悲しみや、現代の苦しみに目を向けてほしい。
「政府が変わっても、ここは変わらないねぇ」と“おばあ”は言った。でも「沖縄の市民は変わり始めている」とも言った。
日本を変えるのは絶対に政府なんかじゃない。私たち一人一人の市民である。
絶対に変えたい。
私は怒っている。
久々に泣いたような気がする。
悔しさで流れた涙は、海の味がする。