2010年11月1日月曜日

『笑顔の裏に隠されたもの』


 澄み切った空気に輝く星たち。そんな夜空に、銃声が鋭く鳴り響く。「大丈夫だよ。毎晩のことさ。私の子供は怖がってもいない」。私よりも年下の幼い2人の子供達は、銃声よりも日本人の私に興味津々だ。肩を抱き寄せ、大丈夫、大丈夫と優しく守ってくれたバラカットさん。モサモサにたくわえられた真っ白なヒゲとお父さんのような優しい笑顔が、怖がる私を少し安心させてくれた。子供達の笑い声はいつまでも賑やかだ。20082月から1ヶ月間、パレスチナを訪れた。あれから、もうすぐ3年が経とうとしている。いまでも子供達は銃声が鳴り響く夜空の下、寝ているのだろうか。初めて訪れた紛争地、パレスチナ。私の夢の出発点である。




 1948年、イスラエルの独立宣言を契機に第一次中東戦争が勃発した。以後3回の大規模紛争を繰り返し、いまのイスラエルとパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区・ガザ地区に分断された。現在でも紛争は続いており、死者は絶えない。一般的にこの紛争は宗教紛争だと言われている。イスラム教とユダヤ教の対立だ。エルサレムからバスで南へ1時間程行くと、最も宗教対立の激しいヨルダン川西岸地区ヘブロンという地域がある。私はBreaking the Silence というNGOのツアーでその地域を訪れた。

 ヘブロンはイスラム、キリスト、ユダヤ教の祖であるイブラヒームの墓がある。イスラムの礼拝所モスクとユダヤのシナゴーグが隣接してあり、とても神聖な場所である。神聖であるが故、ヘブロンには一部の過激な宗教者が居住している。特に一部の過激なユダヤ教原理主義者によるパレスチナ人に対する嫌がらせは、耳を塞ぎたくなるほど酷いものだ。パレスチナ人の家に石を投げガラスを割ったり、人糞を投げつけもする。学校に登校中のパレスチナ人小学生に石を投げつける被害も相次いでいる。一部のユダヤ教原理主義者たちはパレスチナ人を「犬」と呼んでいる。

 ツアーの一環でパレスチナ人宅に訪れ、現地の人の声を聞く機会があった。5歳ほどの男の子が玄関で出迎えてくれた事を覚えている。無邪気な笑顔が、この地で起きている事実を忘れさせてくれた。子供の父親がいま起こっている事を簡単に説明してくれ、話の中心は子供に移っていった。

 「2年前、子供が庭で遊んでいると、丘の上からユダヤ教原理主義者の女性が降りてきて、子供に怒鳴りつけるなり、子供の口に大きな石を詰め込み、そのまま子供を殴ったんだ」
 
 当時3歳だった子供の歯はバキバキに折れ、口から血が止まらなかった。どれほど怖かったか、どれほど痛かったか、子供の気持ちに心を寄せれば寄せる程、心が痛かった。話を聞いている最中、少年は私たちツアー客に笑顔でお茶を差し出してくれた。彼の笑顔は私を安心させるとともに、私の心をさらに痛めもする。笑顔の裏にある彼の記憶は決して消える事はない。その過去を背負いながらも、彼は天使のような笑顔をみせてくれる。

 小さな少年に大きな傷を残した事実。これも戦争の一つである。決して核兵器や戦闘機を使った戦いだけが戦争ではない。私たちの見えないところで戦争は起こっているのだ。見ようとする先に、見るべき現実がある。決して目をそらしてはならない。



 「この現実の中、日々生活していて、どうやって平和をイメージすればいいんだ」。エルサレム郊外の難民キャンプ近くに住む、冒頭のバラカットさんは心中を私に語ってくれた。何も言えず、私は黙ってしまった。
いまでも何と答えていいのか分からない。
ただ考え続けている。


ちょうど3年前の今日、Oxfordに来ていた。
大学生活が始まった頃の私と比べて、大学生活が終わろうとしている現在の私はどう成長してきたのだろう。
いや、振り返るのには、まだまだ若い。これからも突っ走って行こう。だから、またここに来ているのだ。


キッパを被ったユダヤ人が目の前でインターネットをしている、
そんなOxfordのスタバからのお便りです。

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