2010年9月10日金曜日

『食肉と差別』


「ギギギギッ」。機械音とも聞こえる音は、豚の鳴き声だ。300頭ほど豚が集められた施設から、彼らの最期の鳴き声が聞こえる。屠殺現場は見えないものの、その鳴き声は「生と死」の狭間を感じさせる。品川駅港南口から徒歩5分、東京都中央卸売市場食肉市場がある。東京の食肉を支える人々に対する、偏見や差別は今でも絶えない。

 羽田空港から飛び立つ飛行機の空域の関係で、品川のオフィスビルは高さ制限を強いられている。驚くほど見事に、同じ高さの高層オフィスビルが立ち並んでいる。空から地上に目を向けると、スーツ姿のサラリーマンが仕事終わりの一杯を楽しむ居酒屋街があり、街は華やかだ。そんな品川の街の一角に、巨大だけれど、誰かの目から隠れるように、ひっそりと建っている施設がある。それが食肉市場だ。

 敷地内に入ると、牛や豚が放つ獣の臭いが鼻を突く。ガラス張りの高層オフィスビルを見上げ、牛と豚に目を落とす。このコントラストは、どちらが現実なのかと私を混乱させた。目の前にいる見事に太った牛と豚が、私たちの食肉を支えていると思うと、改めて動物に感謝せざるを得ない。動物の肉を食べるということは、動物を殺し、皮を剥ぎ、肉を切り落とす人がいる。そして最終的に私たちが、その恩恵に預かり、消費者として食事を楽しむ。

 私たちの食肉を支えている人々、つまり動物を肉にするまでの過程に従事する人々は長い間、差別と偏見の目を向けられていた事は知っているだろうか。むろん、差別は今現在でも続いている。

 食肉供給に携わる仕事、また食肉は仏教思想の普及で江戸時代までの1200年間、タブー視されていた。そのため江戸時代以降も、食肉供給の仕事は「賤業」や「卑しい仕事」として被差別部落の人々によって担われていたという。その影響で、現代においても差別や偏見が残っているといわれる。

 食肉市場施設の中に「お肉の情報館」という、食肉供給の仕事を正しく理解するための施設がある。どのように食肉ができるか、衛生管理、差別の歴史などが展示されている。その一角に、施設や仕事に従事している人々に対しての誹謗中傷を書き連ねた手紙やEメールが展示されてある場所がある。手紙の送り主は動物の肉を食べているにもかかわらず、憎悪に満ちた字体で手紙を書き、内容は決して口に出来ないほど低俗で想像力に欠ける事が書かれてある。誹謗中傷の数々を読み、相手にしてもしょうがないと思っていても怒り、食肉供給に従事している人に心を寄せると、悔しさで涙が出てくる。

 動物が殺されるところを見て、心が痛まない人はいないだろう。動物がかわいそうとも思うだろう。誰でもそうだと思う。それが素直な感情だと私は思う。だからといって、動物を殺さないわけにはいかない。
肉を食べないわけにはいかない。


 ガラス張りの高層オフィスビルと屠殺現場は、どちらが現実だろうか。


見たくない現実に蓋をする風潮がある。
だから、この世界には上っ面しかない。偽物の汚らわしい美しさしか見えない。
せめて、私たちの生活に関わる見えない現実には、目を向けていたい。
命を食べることは、生命の喜びと美しさがある。

大都会、品川で馬刺を嗜みながらそんな事を思った。


関連映画
『いのちの食べかた』

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