2010年9月12日日曜日

『再会の葉書』

 懐かしい名前の書かれた、一通の葉書が自宅に届いた。群馬県川原湯温泉で土産屋と旅館を営む、樋田ふさ子さんからだ。青地のカラフルなジャケットと笑顔が素敵な、おばあちゃん。優しい心遣いが印象的だった。差し出してくれた茶とまんじゅうは忘れられない。

 

 「私たち、親、私、子、孫は4世代に渡って、ダムに苦しまれ続けてきた。この先もどうなるか全く分からない」。おばあちゃんの想いに心が熱くなった。川原湯温泉と聞いて、パッと分かる人は少ない。八ツ場ダムと聞けば分かるだろう。多くの人にとっては、過去の問題かもしれない。たった一年前に世間を賑わした八ツ場ダム問題は、もはや誰も気にしない。


 川原湯温泉街のゆるやかな坂を少し登ったところにある郵便局のちょうど目の前に、おばあちゃんが営む土産屋「お福」がある。川原湯は山に囲まれ、ニホンカモシカが現れるほど、自然が豊かなところである。今もなお、ダム建設に向けての工事は着々と進んでいる。昨年10月下旬、葉が色づき始めた季節、八ツ場ダムを訪れた。葉書が届き、約一年ぶりにおばあちゃんと再会した気持ちになった。政治に翻弄され、進退するダム計画とともに生きる人々と出会った、あの時を振り返ってみようと思う。




 川原湯温泉は、山々の谷間を流れる吾妻川沿いにある温泉街である。源頼朝が発見した温泉とされ、その歴史は長い。温泉街の端にある足湯では、温泉卵が作れる場所もあり、足湯に浸かりながらの温泉卵は絶品だ。


 八ツ場ダム計画は1952年に発表され、それ以来、住民の反対運動は続いていた。

 
 「計画が発表された当初は、私の親を含めて、地域住民はみんなダム湖に沈んでも湖底で生活すると言って、反対していたよ」。
 当時を振り返り、おばあちゃんは語る。

 一転、92年に地元と国との間でダム建設協定書が交わされ、温泉街はダム湖の湖畔予定地に代替地を設ける計画になった。
 40年間、ダムと闘い続けてきた地元住民の疲弊感は限界に達したのだろう。住民の疲弊とカネを利用した、公共事業推進の恐ろしさである。
 
 ダム建設に伴い、石仏や墓地までもが移転を強いられていた。建設中の新しい墓地現場は、真新しい墓石がきれいに区画されていた。堂々と建設会社の重機が墓地で動かされている光景は胸が痛かった。

 代替地に住みたくない住民は他の地へ移り、昔からの友人と離ればなれになり、寂しく暮らしている人も少なくないという。高齢の方が新たな地に住み、都市部の地域コミュニティーになじめないのは想像に難しくない事である。「誰も代替地に移りたくない。仕方なく代替地に行く人もいれば、他の土地にいく人もいる」。


 52年以来、約半世紀経ってもダムは未だに完成していない。
完成どころか、昨年の政権交代に伴い、ダム計画が「中止」されたのである。


 長年の闘争の上、ダム計画に渋々納得した住民の思いは、政府に裏切られたのである。
 移転した墓地はどうするのか。
 他の地に移り住み、生きづらさを感じて生活している高齢者の決断はなんだったのか。
政治に翻弄され、人生を滅茶苦茶にされた人々の苦労は、言葉では表せない。


 澄み切った青空の下、賑わう紅葉。目を閉じて、川の音、鳥のさえずりに耳を澄ますと、長年のダム問題闘争なんて感じさせない自然。


 工事用のトラックの音と、そびえ立つ工事中の橋脚が、一瞬にして、私を現実に戻す。コンクリートの道路は、トラックが通るところがくぼみ、道路が波打っていた事を思い出す。それほど建設用のトラックが往復しているのだ。


 「ねぇ、おばあちゃん、ダムどこ!?ダム!」。土産屋にいた無神経な中年女性の観光客が突拍子も無く質問していた。ダムは出来ていない、むしろ当時、計画は中止になっていた。おばあちゃんの顔は笑顔を失い、怒りを通り越して、呆れの表情だった。彼女は長年の闘争を知らずに、テレビで流される言葉を聞いて、興味本位で訪れたのだろう。それにしても無神経すぎる発言だった。このような観光客は決して少なくない。

 巨大な観光バスは、小さな駐車場に入り込み、テレビ映像で有名な橋脚を観光して返っていく。観光業者にとっては八ツ場ダム問題はカネのなる問題らしい。テレビで流された映像を実際に見て、カネを儲けて、去っていく。
 観光業者が金儲けするために、地元住民が長年闘ってきたわけではない。闘う姿をあざ笑うかのような観光が許せなかった。



 彼らはこの土地を守り、この土地で生きようと闘ってきたのである。



 地元住民は、「八ツ場ダム建設中止」に反対する署名運動を行っていた。40年間、ダムと闘ってきた彼ら彼女らの結論は、「ダム建設」なのである。
 街の雰囲気は、「いまさら、後戻りできない」といった状況だ。

 マスコミが大規模に報道し八ツ場ダムはいわゆる「ムダ」公共事業の象徴となった。報道の表面だけ見る人は、ダム計画に賛成している地元住民はカネが欲しいから賛成しているのだろう、と思っていたに違いない。しかし、そこには長い歴史がある。

客観的視点を除き、私の意見を述べると、
地元住民はダム建設を心の底から賛成していないと感じる。
「代替地に移りたくない」という彼らの気持ちが、それを暗に表現しているだろう。


 では、彼らは本当に何を望んでいるのか。

ダム計画中止や推進ではない。賛成でも反対でもない。

彼らの望むものは、先の見える安定した幸せで平凡な生活である。
私たちの一般市民のような、普通の生活である。



マスコミ報道によって、
世の中を掻き乱す政治家ばかりが、注目を浴び、
政治に人生を掻き乱された、声なき声の市民は世間から黙殺される。


置いてけぼりにされ、忘れ去られてしまう、一人ひとりの人生。

問題や事件がある限り、そこには人が絡んでいる。
人が絡んでいる限り、そこには人生がある。

大切な、一人ひとりの人生である。


「ムダ」な公共事業に対し、馬謖を切らなければならないと思いつつ、
私は、長年闘い続けた住民に心を寄せる。



0 件のコメント:

コメントを投稿