2010年9月12日日曜日

『秋の風』

 インド東部コルカタに「マザーハウス」という施設がある。生前のマザーテレサが貧困の中でも、さらに貧しい人々を救ってきたところである。彼女の亡き後は、彼女を慕うシスターやブラザー、また世界中から来る一般市民のボランティアによって施設は支えられている。マザーハウス施設の一つに「死を待つ人の家」がある。とても一人では生活する事ができず、衰弱している路上生活者を世話するところだ。20093月、私は一ヶ月間「死を待つ人の家」で手伝いをしてきた。

 ヤギの首を切り、生け贄に捧げることで有名な観光地、カーリーガート寺院のすぐ隣に「死を待つ人の家」はある。コンクリートが溶けてしまうのではないかと思うくらいの灼熱の太陽光、病気で毛が所々抜け、暑さでへばっている野犬、観光地ならではの華やかな露天土産屋。露天を通り抜けるとカーリーガートが見えてくる。施設の入り口では回復して施設を出た路上生活者がいる。施設に入る事ができても、施設から出た後は再び路上生活に戻ってしまうのが現実である。「死を待つ人の家」に入ると、消毒液か洗剤の凄まじい臭いに包まれる。まるで、違う世界に入ってしまった感じだった。

 ボランティアの仕事は介護業務のようなものである。近所住民から連絡を受けると、現場まで行き、衰弱しきった路上生活者を二人組で施設まで運ぶ。その後、全身を石鹸とスポンジできれいに洗う入浴介助、具沢山のカレーを食べだせる食事介助、また排泄介助などを行う。その他、洗濯や薬配給などがある。仕事の甲斐も虚しく、人々が死んでいくのが施設の現状だ。

 運んできた老人の体を洗うために私が服を脱がそうとすると彼はポケットからお金を取り出し、一枚一枚、大切そうにゆっくりと数え始めた。彼が必死に物乞いをして集めたお金。毎日灼熱の太陽の下、衰弱するまで集めたお金。とても大切そうだった。身寄りがなく孤独だった彼にとって、集めたお金は彼の全てだ。
 数え終えると、彼は感謝するジェスチャーをして、死ぬ気で集めたお金を私に渡してきた。私は泣いた。

お金を貰えて嬉しかったから泣いたのではない。
彼を無事に施設まで運べた事が嬉しくて泣いたのではない。

悔しくて、悔しくて、私は泣いたのだ。


こんな世界は消えて無くなれと思った。


彼の体を洗った後、彼の洋服と彼のお金をシスターに預けた。
所持品は、彼が施設から出るとき、全て返される。





 介護というと排泄介助ばかりイメージにあり、あまり良いイメージは持っていなかった。しかし、介護とは決して単一なイメージに終わるのではなく、深く、人間の生を感じることができる。一言で言えば「生きる営みを支える」仕事である。

 野菜たっぷりのカレーをスプーンで食べさせると、美味しそうな顔で次の一口を求めてくる。魚が入っているカレーは、骨を取ってから食べさせてあげる。もちろん、みんな嫌いなものもあるから、機嫌を損ねないように、それを避けて食べさせてあげる。
 栄養満点の食事のお陰で、とても健康的なウンチが出てくる。
 汗をかき、汚れたら体を洗ってあげる。冷たい水で体を洗われるのが苦手な老人の嫌がる姿はとても人間らしい。とても、可愛らしいのだ。

 表情が見えないと、人間はロボットのように感じられる。
彼らが介護されるために生きてるんじゃないかと思った事もあった。

 美味しそうな表情、嫌がる表情、何かを要求する仕草。彼らはロボットではない。彼らは生きるために生きている。人間は生きるために生きるのだ。

生活にもなれ余裕ができ、彼らの人間的な側面が見えるようになると新しい事に気づく。
 
介護は、「生きる営みを支える」仕事なのだ。
食事や排泄などの、生きる根源を支えるものである

人間は生きている間、2度、人の世話を受ける。
赤ん坊の時と高齢の時だ。
赤ん坊を世話する事が当然のように、高齢の方を世話することも当然なのである。




一人で生きることができないから、生きている価値が無いということはない。人は人に生かされているのである。




この世界は、なぜ生きることを望んでいるだけなのに、
あの老人が、なけなしのお金を私に渡そうと思う構図となっているのだろう。
彼にとっての全ては1000円にも満たない金額だった。

沢山の感謝の気持ちが込められた1000円だったが、
私には彼の沢山の感謝で十分だ。


「人は一人で生きる事はできない」
大切な事を教わった。


あの経験があったから、今の私がいる。
この素晴らしい毎日がある。

私こそ彼に心の底から感謝したい。





夏の終わりに吹く秋の風は、私の中にある灼熱の地インドを、寂しくも懐かしく蘇らせる。季節の移ろいと共に、私も次のステップに準備ができたということだろうか。
過去の自分に恥じないように精進したい。

2 件のコメント:

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  2. 俺も明日からカーリーガートでボランティアすることになったよ。

    たった3日間だけ。シスター達は喜んで僕を受け入れてくれたけど、多分突っ立って何も出来ないんだと思う。

    俺はボランティアに興味を持ったことなんてないのに、今こうして俺がインドに来て、まさにコルカタにいて、ボランティアをしようと思ったのは周平が俺の側にいたから以外、理由は何一つ無い。俺も見てみよう、と思った。自分の目で確かめてみようって。

    クソなインド人もたくさんいるし、ぼったくってくる奴も多いけど、そうしなきゃ生きていけないっていうのがすげー悲痛だ。

    とりあえず今日は丸一日暇です。かわいい日本人と一緒にコルカタの街へショッピングに行ってきます。

    ちなみに俺は今回「常識」っていう概念にものすごい考えさせられてる。この国はギャグの塊だ。

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